2017年02月25日

二戸市郷土芸能祭2017

さて、当ブログではお馴染みの二戸市郷土芸能祭。
今年は2月5日に開催されました。かなり過日ネタな感じではありますが、やっとここまで追いつきましたよ。


「お馴染み」がどれくらいお馴染みなのかというと、過去9回に渡ってレポっているぐらいにお馴染みなのです。
や、ほんと、これくらいアーカイブしている奴も珍しい。
何故か昨年はお休みしておりますが、何故だかは不明。何か忙しかったんだったと思う、そういうことにしておきましょう。





ということで2017の二戸市郷土芸能祭
12の団体が出演し、10時半頃から14時半頃までぶっ続けで演目を鑑賞できます。
1つ1つの演目をみると郷土芸能祭用に人数や時間が再編されているものもあるやに聞いておりますが、市内の団体を1ヶ所で観ることができるとても貴重な現場です。
今回は都合により午前のみの見学となりましたが、今年も良かったですね。

では、パンフより抜粋などもしつつ加筆もしつつ、例によって紹介していきましょう。






「大神楽」金田一大神楽保存会

金田一の八坂神社は811年、京都の祇園八坂神社の御分霊を勧請されたものと伝わる。
御分霊を当地まで運ぶお供として大神楽が舞い踊られていた。  のだそうな。


_DSC2511.jpg

_DSC2532.jpg

_DSC2544.jpg







「七ツ物」坂本七ツ物保存会

坂上田村麻呂の命を受けた文室綿麻呂が蝦夷の長・伊加古を平定した際、戦勝に沸く兵士たちによる歓喜の踊りとされ、当地におさまった兵や村人たちが踊り継いだ物と云われる。
手に杵・先棒・槍・長刀・鍬・弓・太刀の七つの武器を持ち円舞する。


_DSC2558.jpg

_DSC2605.jpg

_DSC2608.jpg


ということは、実は蝦夷側ではなく朝廷側寄りの踊りなのですなぁ。
この坂上田村麻呂・文室綿麻呂による蝦夷討伐では、阿弖流為が有名ですが、伊加古はそれよりも後、最後に抵抗した蝦夷ということになります。
また蝦夷討伐の話から、ねぶたにも繋がるらしく、古くてよくわからないけれどとても興味深い時代ですね。








「盆舞・番楽」竹内神社神楽保存会

竹内神社も蝦夷討伐と関係があるらしく、仁徳天皇の御代に開創されたと伝えられ、蝦夷を鎮撫するために竹内宿禰を祀ったと云われる。

_DSC2673.jpg

_DSC2686.jpg

_DSC2694.jpg

_DSC2700.jpg


武内宿禰も謎な人で、5代の天皇に仕えたとか、100〜300年は生きたとか、記紀の中で天皇ではない人で最も活躍した人らしいとか、色々なのですが、やはり謎な人に違いはありません。詳しくは、それぞれに調べてみてくださいませ。







「ナニャトヤラ」二戸市ナニャトヤラ保存会

ナニャトヤラは日本最古の民謡と云われており、旧南部領に伝わる。

_DSC2796.jpg

_DSC2823.jpg

_DSC2840.jpg



ナニャトヤラについても書き始めると長くなり、その実、結局はよくわからないということになるので、興味のあるひとは調べましょう。
ヘブライ語説が楽しいけれどね。







「三坊荒神」下斗米山伏神楽保存会

下斗米の大宮神社は、今から約650年前、初代下斗米小四郎(相馬三河守胤成)が、南部12代政行公から下斗米・上斗米を賜り下斗米に赴任のとき、斯波郡から大宮権現を当地に遷座し、吉王山大宮大権現と称し守護神として尊崇した。 のだそうな。


_DSC2858.jpg

_DSC2862.jpg

_DSC2874.jpg

_DSC2759.jpg


さあ、ここで出ました下斗米氏。
繋ぎ馬の家紋からも判るように平家の流れをくみ、先祖は平将門で、子孫は代々相馬姓を用いたということのようであります。






こうしてみると
蝦夷〜源氏の流れが強い土地なのかと思うっていたら、どうしてどうして、朝廷〜平氏の流れもくんだ、複雑な歴史背景を持つ地域なのですなぁ。
といったところで諸用により見学時間タイムオーバーとなりましたので、今年の鑑賞はこれまで。


それでは、また!
posted by ふゆかぶ at 15:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 二戸界隈的なおはなし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。